情報基礎論
中植正剛

第1章 コンピュータの概要と歴史

1-0. この章の内容

1-1. コンピュータを理解するためのアプローチ

コンピュータを理解するためには、二つのアプローチがある。一つ目はとにかく触ってみることである。コンピュータは単なる道具なので理解はさておいて、とにかく使えればいいという発想でワープロや電子メールの操作方法をマスターする、という考え方である。もう一つは、コンピュータの仕組みや動作原理や歴史を学ぶという方法である。

どちらが簡単かというと、前者である。また、仕組みや動作原理や歴史を知ったからといってコンピュータが使えるようになるわけではない。

しかし、コンピュータ関連の技術は進化が速いので、触って覚える方法だけを続けているといつか限界が来る。一方では、コンピュータのソフトやハードは絶えず進化しているが、基本的な仕組みや構造はそれほど急激に変わるわけではない。したがって、コンピュータの本質的な仕組みや原理原則を理解しておくことで、次々と出現する新製品・新技術に柔軟に対応できるようになる。

1-2. コンピュータとは

1-1-2. 情報を処理する機械

コンピュータとは、日本語では電子式計算機と呼ばれ、その名前のとおり、長い間科学技術計算に利用されてきた。しかし、今では数値の計算だけではなく、ワープロのように文字を取り扱ったり、デジタルカメラで撮った写真のような画像を取り扱ったりと、さまざまなデータを取り扱うことができる。

ところが、あまりにもコンピュータで色んなことができるがゆえに、かえってコンピュータとは何なのかが見えにくくなっている。コンピュータを使うとなんでもできるように錯覚してしまうが、もちろんコンピュータにもできないことはある。例えば、コンピュータは自分で考えることができない。最近は知的なロボットなども開発されているが、一見するといかにも自分で考えているように見えるロボットでも、内部的にはプログラムされた命令を実行しているだけに過ぎない。コンピュータは万能機械ではない

ではコンピュータとは何かというと、最も簡単に言えば、入ってきた情報を処理して出力する電子機器である。どんなに複雑な処理でも、入力元や出力先が違ったり、処理の内容が異なっていたりするだけで、常に入力−処理−出力が基本である。詳細は学期を通して学んでゆく。

1-2. コンピュータの歴史

今でこそ、コンピュータは一般の人たちが一人一台所有できる機械であるが、かつては相当高価な機械だった。例えば、最初に販売されたモニターは今の価格に直すと3000万円程度であったという。それどころか、かつてのコンピュータにはモニターすらなく、処理結果は紙に打ち出されたり、ライトが点滅することで出力していた。重さは何十トンという単位の巨大な機械で、空調の効いた専用の部屋に納められ、丁寧に丁寧に使われていた。もちろんそんな巨大で高価な機械を所有できるのは、大企業や政府、軍隊などに限られていて、個人での利用など、とんでもないことだった。では、一体いつコンピュータは発明され、どのようにして今我々が使っているように小さくて個人でも使える機械に発展してきたのだろうか。

1-2-1. コンピュータの誕生

世界最初のパーソナルコンピュータ(個人向けのコンピュータ=パソコン)「MITS アルテア 8800」が販売されたのは、今から30年ほど前の1975年のことである。世界で最初のコンピュータ ENIAC(エニアック)が開発されたのは、さらに30年ほど前の1946年である。

[ 図 1-1 ] MITS アルテア 8800(世界最初のパソコン:1975年)
(Images cited from When PC were Micros webpage)
chap1_5.png(182770 byte) chap1_5b.png(110614 byte)
[ 図1-2 ] ENIAC (エニアック:世界最初のコンピュータ:1946年)
chap1_6.png(102490 byte)chap1_7.png(101261 byte)

これらのコンピュータが登場するまでにも、さまざまな計算用の道具が開発されてきた。まずはその歴史を見ていきたい。

1-2-1. コンピュータ以前

コンピュータの登場以前にも、計算を容易に手早く行いたいという欲求を満たすために、さまざまな道具が発明されてきた。

そろばん
そろばんは紀元前の中国で既に使用されていた。西洋でも、ギリシャ・ローマ時代には既にそろばんが使用されていた。歴史を通じて、世界中でさまざまなタイプのそろばんが発明されてきた。

[ 図1-3 ] 現存する日本最古のそろばん。前田利家のもの。(「全国珠算教育連盟」より引用)
chap1_0.png(28821 byte)
計算尺
1626年にオートレッドによって発明。二本の棒をスライドさせることで、足し算や引き算だけではなく、掛け算・割り算・指数・対数・二乗・三乗などの複雑な計算ができた。
[ 図1-4 ] (「計算尺推進委員会より引用
chap1_1.png(131540 byte)
パスカルの加算機、パスカリーヌ(1642年 江戸時代初期)
歯車を組み合わせて、28桁までの数の加減算ができた。数学者パスカルが計算で苦しむ税吏の父のために10年をかけて製作。

[ 図1-5 ]
chap1_2.png(54833 byte)
構造が複雑で売れなかったという説がある。製作者のパスカル自身が「操作法は文章にしても誰もわからないから書かない」と遺言状に書いている。だが、調べてみると、実際にはそれほど難しくもないらしい。詳細はパスカリーヌの使い方のページで見ることができる。
ライプニッツ歯車式乗除算機 (1674年)
歯車により、掛け算、割り算もできた。

[ 図1-6 ] (図解雑学「コンピュータのしくみ」ナツメ社より引用)
chap1_3.png(42908 byte)
階差機関 (1822年)
イギリスの数学者バベッジによって考案。

[ 図1-7 ]
chap1_8.png(83437 byte)
階差機関もパスカリーヌなどと同様、歯車を組み合わせて出来ていた。製作目的は、四則計算や多項式の解の計算の実現であった。この時代は産業革命の真っ只中だったので、科学研究や建築や設計などにおいて素早く正確に計算をすることが求められた時代だったが、多くの場合、対数表や三角関数表が不正確であった。このため、階差機関のような機械が発明されなければならなかった。
解析機関 (1833年 江戸時代末期)
イギリスのバベッジによって考案。解析機関に使われたアイデアの多くがコンピュータにも受け継がれている。バベッジがコンピュータの父と言われる所以(ゆえん)である。

[ 図 1-7 ]
chap1_4.png(94549 byte)
バベッジの解析機関のアイデアは現在のコンピュータの原型となるものだったが、あまりにも費用がかかるため、10年の歳月をかけられたものの完成にはいたらなかった。(上記の写真はバベッジの設計図を基に、イギリスのロンドン博物館が復元したもの。細かな設計ミスは見つかったが、バベッジの解析機関は正しく動作した)。バベッジのアイデアが実用化し、最初のコンピュータが発明されるには、さらに100年の年月を待たなければならなかった。解析機関からは、次のようなアイデアがコンピュータに受け継がれている。
  • 演算装置と記憶装置の分離
    数値を演算する部分(ミル=粉引き機の意味)と、その結果や途中経過を記録しておく部分(ストア=倉庫の意味)を別にした。これは現在のパソコンでも受け継がれている設計である。詳細は後述するが、パソコンでは演算装置のことを中央演算処理装置(CPU)、記憶装置を主記憶装置(メインメモリ)という。
  • プログラムの入力
    解析機関以前の機械では、決められた種類の演算しかできなかった。しかし、バベッジの解析機関では、入力装置から演算式そのものを入力することができ、その式に応じて歯車の動きかたが変化したため、さまざまな種類の演算が可能であった。演算式の入力は厚紙に穴を開けたパンチカードを利用して行っていた。穴の開き方によって様々な式を表したのである。パンチカードは解析機関が設計されてから130年経った1970年代ごろのコンピュータでも使用されていた。
    [ 図1-8 ] 1975年ごろに使用されていたパンチカード
    (東京理科大学ウェブより引用 http://www.rs.kagu.sut.ac.jp/~infoserv/museum/center/punch.html

    chap1_9.png(58623 byte)
  • プログラムとデータの分離
    解析機関では二種類のパンチカードが使用された。演算式を記録しておくパンチカードと演算に使用する数値や演算結果の数値を記録しておくパンチカードである。このように、演算式とデータを分けて保存おく仕組みは、現在のコンピュータでも使用されている。

1-2-2. 機械式計算機の問題点

コンピュータ登場以前の機械式計算機は、歯車を用いて製作されていたが、この方法には次のような弱点があった

  1. 遅すぎる:
    コンピュータは電気で計算しているが、機械式の計算機は歯車の回転するスピードで計算をしている。歯車の回転速度には物理的な限度がある。
  2. 壊れやすい:
    稼動部品が多すぎて、故障しやすい

これらの点に対して、電子式の計算機は次のような特徴がある。

  1. 速い:計算のスピードは、電子の伝わる速さである。
  2. 壊れにくい:物理的に稼動する部分が少ないので、摩擦による磨耗や故障が発生しにくい。

1-2-3. コンピュータの誕生と進化

初めてのコンピュータが誕生したのは、諸説あるので、はっきりしないが、バベッジの解析機関から80年〜90年後で、今から60年〜70年前の1930年代から40年代のことである。諸説があるのは、多くの場所で様々な開発者が同時に同じようなことを考えて電気式計算機の開発を目指したからである。コンピュータの共通した特徴は、それまでのように計算を機械式で行うのではなく、電子式で行うところである。

二進数による電子式計算機の可能性

1937年にクロード・シャノンが、「リレーとスイッチ式回路の記号論的解析」という論文を発表したことで、コンピュータの開発が始まった。

詳しくは別の回で取り扱うが、コンピュータは0と1というたった二種類の情報の組み合わせで画像や音声や文字や数値などの情報を処理している。シャノンの論文によって、ブール代数という数学を使うとこれが可能であることが明らかになった。ブール代数とは、「はい」と「いいえ」の組み合わせで全ての論理的計算を処理する仕組みである。

ABC (1939年 アメリカ)

シャノンの理論を元にして設計されたのが、ABC(アタナーソフ&ベリーコンピュータ)という電子計算機である。

[ 図1-9 ]
chap1_19.png(63408 byte)(「Scalable Computing Lab, Iowa State University 」より引用)

ABCは、30元の方程式を処理することができた。30元とは、XやYのような変数が30個存在する方程式である。一応本体は完成したが、入出力装置の具合が悪いままで、開発者達が戦争に駆り出され、全体としては完成しなかった。誰も語り継ぐ者がないまま処分されたため、次に挙げるENIACが一応「世界最初のコンピュータ」ということになっている。

ENIAC (エニアック 1946年)

現在ではENIACの開発より以前にコンピュータが製作されていたことが分かっているが、多くの書籍でENIACを最初のコンピュータとしている。ENIACの開発は、第二次世界大戦中のアメリカで行われた。当初の開発目的は、北アフリカの砂漠で敵の戦車を砲撃するための弾道計算を行うための計算用の表を作成することだった。

chap1_17.png(31896 byte)

正確に砲弾を目標に当てるためには、砲弾を打ち出す角度や風向きや温度・湿度など様々な条件を考慮して計算を行わなければならず、当時はそれを射表という表を使って計算していた。しかし、射表の作成には非常に時間がかかり、場合によっては一ヶ月も待たなければならない状況であった。一方で、次々に開発される新兵器や刻々と変わる戦況に合わせて新しい射表を大量に作成しなければならなかったため、射表を素早く大量に作成することが必要とされていた。

当時、陸軍が射表の作成を依頼していたペンシルバニア大学では、モークリーとエッカートの二人が真空管を利用した電気式の計算機を作成しようとしており、これを聞きつけた陸軍は射表作成用の計算機開発にために二人に資金を提供し、ENIACの開発が始まった。

1943年に開発が始まったが、完成したのは終戦後の1946年のことであった。

ENIACの仕様(諸説ある)

chap1_18.png(23365 byte)[ 図1-10 ](「Old Good Computer」より引用 )

ENIACの特徴はその巨大さと消費電力の多さである。ENIACは空調の効いた専用の部屋で稼動していたが、これは空調がないと熱で暴走するからである。現在でも、企業などの基幹システムで使用されるコンピュータは空調の効いた部屋に配置されている。最初のコンピュータの開発から現在まで、熱対策はコンピュータの重要な課題であり続けた。ENIACの演算式は、手作業で配線を組み替えたり、スイッチを切り替えたりすることによって入力された。

記憶装置の進化

プログラムや、あるいはコンピュータで演算した結果などを記録しておく記憶装置も、コンピュータの登場以来大きく進化を遂げてきた。以下ではその流れに沿って様々な装置を紹介する。ただし、留意して欲しいのは、新しい装置が開発されても、古い装置がすぐに取って代わられるわけではないということである。コンピュータの歴史においては、新しい装置が発明されても、暫くは古い装置と平行して使用されてきたという経緯がある。

パンチカード
カードに規則正しく穴を開けたもの。もともとは、19世紀にはた織り機用に発明されたもので、穴の開き方によって織り機を制御して織り目に模様を付けていた。また、パンチカードを使用したオルゴールなどもあり、現在でも発売されている。

[ 図1-11 ] ドイツシャーフ社製 パンチカード式ミュージックボックス
chap1_26.png(63344 byte)

このように、パンチカードは手軽に情報を記録する方法として幅広い用途で長い間使われており、コンピュータにおいても、1940年代から1970年代ごろまで使用されてきた。
磁気テープ: 1950年代〜
[ 図1-12 ] 初期の磁気テープ
chap1_27.png(46055 byte)chap1_28.png(75192 byte)
(左側:IBM Computer Musium) (右側:Columbia University Computing History)

磁気テープとは、磁石の性質を持つ物質である磁性体を表面に塗布したテープである。イメージとしては、目に見えない小さな棒磁石が大量に表面に並べられたテープであり、棒磁石の向きを変えることで情報を記録していた。

磁気テープは、パンチカードと比較すると多くの情報が記録でき、書き込みスピードも読み込みスピードも速い。しかし、その後の記憶装置に比べると非常に遅く、また、先頭から順に情報を読み取っていくため、欲しい情報に素早くアクセスすることができないという欠点がある。


大容量の情報を記録することができるので、最近まで、コンピュータの情報のバックアップを丸ごと取るのによく使用されていた。
フロッピーディスク: 1970年代〜
フロッピーディスクは、1967年に発明された、薄い円盤の両面に磁性体を塗布した記憶媒体である。円盤を高速で回転させ、磁気ヘッドという部品を使って読み込んだり書き込んだりすることができる。

初期には8インチ(約20cm)四方の大きさであったが、現在では3.5インチ(8.6cm)四方の大きさである。記憶容量は磁気テープに比べて格段に小さい。最初のフロッピーの記憶容量は250KBで、これは携帯電話などで使われる32MBのSDメモリカードの128分の1である。

しかし、安価であったことと、高速に情報にアクセスできることが特徴であったため、パソコンを中心として広く利用された。
ハードディスクドライブ 1950年代〜
ハードディスクドライブとは、精密ガラスやアルミの円盤の両面に磁性体を塗布した記録媒体である。そのような円盤を複数枚用意して、隙間を空けて重ね、それぞれの円盤にヘッドと呼ばれる読み取り装置を付けて読み書きを行う。フロッピーディスクに比べて高速で大容量の情報を取り扱うことができる。

[ 図1-13 ] ハードディスクの断面図
chap1_29.png(67072 byte)

例えば、現在では160GB(ギガバイト)程度の容量で、一分間に7200回転のハードディスクがパソコン用に販売されている。160GBとは、フロッピーディスク約11万枚分の情報量である。

また、業務用には2テラバイト近く(= 大きめの図書館に収められた資料の情報量とほぼ同量、フロッピーディスク約140万枚程度)の容量のハードディスクが利用できる。もちろん、このような大容量のハードディスクドライブが昔から利用できたわけではなく、初期のハードディスクはフロッピーディスク数枚分程度であった。

ハードディスクドライブの仕組みについての詳細な説明は後日行う。
光ディスク
磁気テープやフロッピーディスクやハードディスクドライブといった、磁性体を使用した記憶装置の欠点は、磁気や傷に大変弱いことである。磁石の向きで情報を記録しているので、その向きが変わってしまえば情報が壊れてしまうのである。

例えば、フロッピーディスクはテレビなどの電子機器に近づけるだけで壊れてしまう可能性がある。また、私たちの身体や身の回りのものも磁気を帯びているので、それらに影響されて壊れることもある。また、フロッピーディスクやハードディスクドライブの円盤の表面に傷が入ると、そこだけ磁性体が欠けるので、情報が消えてしまうことになる


それに対して、光ディスクは、円盤の表面に凹凸をつけて情報を記録し、表面をポリカーボートといわれる透明のプラスチックのような素材で覆っているので、磁気などの影響をうけず、傷などにも強いという特徴を持つ。

光ディスクは、円盤の表面の凹凸にレーザーを当てて、その反射具合で情報を読み取る。

光ディスクには、CDやDVDがあり、ハードディスクやフロッピーディスクの記録方式を磁気式と呼ぶのに対して、光ディスクの記録方式を光学式と呼ぶ。

キーボードの搭載

コンピュータには、最初からキーボードが付いていたわけではない。キーボードが用いられるようになる以前は、コンピュータに付いているスイッチを切り替えたり、つまみをまわしたり、配線を組み替えたりして入力を行っていた。あるいは、パンチカードを挿入して命令を送っていた。

パンチカードの作成のためにタイプライター式の機械が使われることはあったが、直接コンピュータにキーボードが接続されているわけではなく、キーを用いてパンチカードを作成し、それをコンピュータに挿入していた。

[ 図1-14 ] IBMパンチカード穿孔機
(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」、及び「(写真で見る歴史的なコンピュータ PC Watch 2001年3月13日)」より引用)
chap1_12.png(122843 byte)chap1_13.png(123684 byte)

初めて電気式のキーボードがコンピュータに搭載されたのは、1964年のことである。

現在主流になっているキーボードの文字配列はQWERTY配列(クワーティ配列)といわれている。これは、キーボード左上のキー配列が左から「Q」「W」「E」「R」「T」「Y」という並びになっているからである。この配列は、キーボードをわざと扱いにくくするための並び方である。なぜわざわざ扱いにくい配列でキーを配置したのだろうか。

キーボードは、もともとタイプライターで使われていた仕組みである。タイプライターは、キーを押すことによって、ハンマーと呼ばれる、先端に文字が刻印された金属の棒が跳ね上がり、紙に印字されるという機械である。
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このとき、あまりにも早くキーボードを打ってしまうと、前に跳ね上がったハンマーが戻り切らないうちに次のハンマーが跳ね上がってしまい、結果としてお互いのバーが絡み合ってしまう。そのようなトラブルを避けるため、最も入力がしにくい「QWERTY配列」が採用された。

コンピュータのキーボードはタイプライタを引き継いでQWERTY配列になっているが、別にQWERTY配列にする理由はない。実際に、入力効率が最大限になるように配慮されたDvorak配列(ドボラック配列)が発明され、QWERTY配列に対して10−40%程度入力速度が速いことが証明された。しかし、それまでにQWERTY配列は広く普及してしまっていたため、今でもQWERTY配列が事実上の標準(デファクトスタンダードという)として使われている。Dvorak以外にも、打ちやすさに配慮したキーボードはこれまで大量に発明されているが、どれも普及には至っていない。デファクトスタンダードの強さがわかる。

NECが作成した数々のキーボード(「写真で見る歴史的なコンピュータ PC Watch」より引用)
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コンピュータの世界では、それよりも優れた製品があるにも関わらず、デファクトスタンダードとなっている製品が多い。

モニターの搭載

コンピュータというとモニター付きを思い浮かべることが多いので、あまりピンと来ないかもしれないが、モニターもキーボードと同様、はじめからコンピュータについていたわけではない。

初期のコンピュータでは、処理結果をパンチカードで打ち出したり、印刷機で印刷していた。

マウスの発明

キーボードと同様に、マウスもはじめからコンピュータに付いていたわけではない。世界で最初のマウスは、1964年にスタンフォード研究所のダグラスエンゲルバートによって発明された。

当時のコンピュータの画面には画像は全く表示されず、文字だけで操作を行っていた。キーボードからコマンドと呼ばれる命令文を打ち込んでから、処理を待ち、処理の結果が画面上に文字として表示されていた。つまり、コマンドの入力→処理→結果表示というサイクルを繰り返しながらコンピュータを処理していたのである。

コマンドで操作を行う操作方法をCUICharacter based User Interface = 文字ベースの操作体系)という。

サンプル動画:CUIの操作デモ

このような操作を習得するには、何十、何百というコマンドを覚えていかなければならないので相当の時間がかかる。コマンドによる操作は一般の人にとって敷居が高いものであり、コンピュータが一般的に使用されるためには、なんらかの改善が必要であった。

一方、1960年代、コンピュータは企業や公官庁などで使用されており、一台のコンピュータを複数の利用者が使うのが当たり前であった。しかし、エンゲルバートは、いずれ一人一台コンピュータを使う時代が来ると考え、誰でも簡単に使えるコンピュータの開発を目指していた。

以上のような背景で、マウスが発明された。

マウスの発明によって、画面に表示されたメニューを選ぶだけでコンピュータの操作が行うことができるようになり、コマンドを暗記する必要がなくなった。

[ 図1-15 ] 世界最初のマウスと発明者のエンゲルバート(出典:Stanford Research Institute)
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GUI(グラフィックユーザーインターフェース)の発明

ダグラス・エンゲルバートが目指したのは、「感覚的に」コンピュータを操作できる仕組みである。上述のように、マウスは「感覚的に」操作が可能なコンピュータの実現の一環として発明されたものであるが、これを受けて、アメリカ・カリフォルニア州のゼロックス・パロアルト研究所でGUIGraphic User Interface)という仕組みが発明された。

GUIとは、画面上にアイコン(小さな絵)やメニューを配置して、それらをマウスでクリックして操作を行う仕組みのことである。

さらに、一画面上に複数のウィンドウを同時に表示することで、一つの画面で複数の作業を同時に行うことができるようになった。

[ 図1-16 ] (左:世界で初めてGUIを採用したコンピュータ Xerox Alto 1972年米 右:Xerox Altoの画面) (出典:Xerox PARC)

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Xerox Altoの基本的な設計思想は、アラン・ケイのダイナブック構想を基にしている。アラン・ケイは、コンピュータは研究用や事務用の計算機ではなく、利用者にとって、文字や音声や画像などが手軽に扱える、紙や鉛筆や本のような存在でなければならないとし、GUIを搭載したA4サイズ程度の子供でも扱えるようなコンピュータを提唱した。

[ 図1-17 ] (出典:Viewpoints Research Institute)

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左:ダイナブックのプロトタイプ(試作品)右:アランケイ

Xerox Altoは生産にコストがかかりすぎるなどの理由で結局販売されなかった。しかし、その後コンピュータ産業をリードする多くの人に多大な影響を与えた。Macやi-Podで知られるアップルコンピュータの創始者のスティーブ・ジョブスや、Windowsやワードやエクセルで知られるマイクロソフト社の創始者のビル・ゲイツなどがXerox Altoからアイデアを得たといわれている。

[ 図1-18 ](出典:Apple Computer Inc., Microsoft Corporation)

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左:スティーブ・ジョブス 右:ビル・ゲイツ

論理素子の進化

1946年にENIACが製作された当時は、真空管という部品を組み合わせてコンピュータの演算や記憶に関わる装置を作っていた。真空管とは、電球に似た外見で、電流の流れを制御する部品である。真空管のように演算装置や記憶装置の基本となる部品を論理的な処理を行う最小単位という意味で、論理素子という。

[ 図1-19 ] 左:真空管 右:LSI

chap1_22.png(104895 byte) (出典: Electronic Magnetic Sciences Inc.)

論理素子は、真空管→トランジスタ→IC→LSIというように進化を遂げてきた

トランジスタ: 1950年代後半〜
[ 図1-20 ] トランジスタ
chap1_23.png(45711 byte) (写真:電気通信大学 電子工学科Webサイトより引用)

トランジスタとはシリコーン(珪素)を素材とした、半導体と呼ばれる物質でできている。半導体とは、状況によって電気を通したり通さなかったりする物質である。トランジスタはENIACが完成した2年後の1948年に発明された。

真空管は大量の熱を発するので、大掛かりな冷却装置が必要であった。それでも故障が頻発していた。それに比べるとトランジスタの発熱量は少なく、より安定したコンピュータが製作されるようになった。
IC (集積回路): 1960年代後半〜
chap1_24.png(41921 byte)(写真:電気通信大学 電子工学科)

電子回路を構成する部品はトランジスタだけではなく、抵抗やコンデンサと呼ばれる、さまざまな部品があるが、これらは全て半導体を使って製作することができた

半導体の材料であるシリコーンはそのままでは半導体にならず、不純物を混ぜなければならない。不純物の混ぜ方によって、トランジスタになったり、抵抗になったり、コンデンサになったりする。

IC(集積回路)が発明されるまでの電子回路は、別々に製作されたトランジスタや抵抗やコンデンサなどを板の上に並べてハンダづけして作成されていた。

しかし、どの部品も半導体に不純物を混ぜて作ることができるのなら、一枚の半導体の板を用意して、その上の必要な部分に混ぜ方を変えて不純物を混ぜてゆくことで、トランジスタや抵抗やコンデンサを直接板の上に作ってしまおうという発想が生まれた。

また、それぞれの部品の間の配線を金属のインクを使用して線として印刷することによって、ハンダ付けの手間を省き、回路の小型化が可能になった。

LSI (大規模集積回路): 1970年代〜
さらに技術がすすみ、千個以上の大量の論理素子がシリコンチップ(半導体の板)に載るようになると、ICはLSIと呼ばれるようになった。現在では、一つのチップに、数百万個の論理素子が詰め込まれている。仕組みはICと同じである。

論理素子の進化がもたらしたもの

パソコンの登場と進化

マウスやキーボードなどの周辺機器の進化、論理素子の進化、記憶装置の進化、GUIの開発などにより、小型で安価で、一般の人でも使いやすいコンピュータ、すなわちパソコンの開発が可能になった。

世界最初のパソコンは、冒頭で紹介したMITSのアルテアである。しかし、アルテアにはモニターもキーボードもついていなかった。アルテアが登場したのは1975年のことだから、既にマウスやキーボードやモニターやGUIは開発されていたが、恐らく、個人向けのコンピュータに搭載するには非常に価格が高かったことが、アルテアにそれらの部品が搭載されなかった理由であると考えられる。

Apple社のLisa、Macintosh (マキントッシュ)

現在のようにキーボードやマウスとともにGUIが搭載された最初のパソコンは、1983年に登場したApple社のLisaというパソコンである。

[ 図1-21 ] Apple, Lisa

chap1_30.png(141182 byte)

Lisaには、5.25インチのフロッピーディスクドライブや外付けのハードディスクドライブが搭載された本格的な個人用コンピュータであった。しかし、価格は$9,995(当時の為替相場と大卒の初任給から現在の価格に直すと約290万円)で、一般的に普及するにはかなり高いものだった。Lisaは価格が高いのであまり売れなかった。

Apple社はその後もGUIパソコンを開発し続けた。1984年には$2,495でマッキントッシュを発売した。マッキントッシュは現在の価格に直すと60万円以上の価値があるが、それまでのコンピュータと比べて安かったので、比較的広く受け入れられた最初のGUIパソコンとなった。

Apple マッキントッシュ(マック)のテレビコマーシャル(1984年)

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CMの解説
ジョージ・オーウェルというSF作家が1949年に書いた「1984年」という作品のパロディーである。小説のなかで描かれる「1984年」という未来は厳しい管理社会であり、人類はテレビなどのメディアによって思考をコントロールされている存在として描かれている。CMの最後に、マックの登場によって、1984年は小説の「1984年」のようにはならないというアナウンスが入る。マックが登場した1984年のコンピュータ市場はIBMによって独占されており、そのような独占状態に挑戦できる画期的なパソコンであるというメッセージも込められている。

ところが、Apple社以外のパソコンには長い間GUIは搭載されなかった。Appleは画像の編集や音楽の編集機能など、マルチメディアの取り扱いに優れていたが、Apple社のコンピュータはアーティストや音楽家が利用するものという認識が広く持たれており、事務用には相変わらずコマンドを入力して操作するCUIパソコンが多く使われていた。これは、Apple社のパソコンがCUIパソコンに比べて高価だったからだと考えられる。

Windowsの登場

Appleの登場にもかかわらず、長い間CUIのパソコンが幅広く使用されていたが、マイクロソフト社が1995年にGUI搭載の基本ソフト「Windows95」を開発したことによって、一気にGUIパソコンが幅広く使用されるようになった。

この影には、IBMの影響力があった。先に述べたように、コンピュータ市場では歴史的にIBMの影響が非常に大きかった。特に、IBMが1984年にPC/ATという自社のパソコンの構造を一般に公開してからは、各社がそれを真似てパソコンを製造したので、パソコンといえばPC/AT機を指す程広く使用されてきた。現在でも、電気店で販売されているパソコンはApple社のコンピュータ以外はほぼPC/AT機である。

IBMが1984年に発表したPC/AT機には、インテル社の演算処理装置と、マイクロソフト社のMS-DOSという基本ソフト(=パソコンを制御するためのソフト)が搭載されていた。

IBMがPC/AT機の構造を公開したことによって最も得をしたのは、マイクロソフト社である。それは、PC/AT機ならどのパソコンもMS-DOSで制御をしなければならなかったからである。

このような状況で、マイクロソフトはApple社のGUIに対抗することのできる基本ソフト「Windows95」を開発したのである。Windows95はさらに、当時流行り始めたインターネットに接続する機能やホームページを閲覧するためのソフトであるブラウザーを搭載していたため、インターネットが一般に普及するための起爆剤となり、飛ぶように売れた。

Windowsはその後もWindows2000やWindowsXPなどの新しいバージョンが開発されてきた。Windowsの登場になって、ほぼ現在のパソコンの環境が整ったといえる

まとめ

参考資料

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